52歳の誕生日を迎えて~診断確定から1年半

こうして難病持ちになったものの、齢五十二の誕生日を迎えられたことは、皆様のご理解の賜物と日頃のご厚情のおかげと大変感謝申し上げます。
思い起こせば、段々と体が不自由になる奇病にて、指先もうまく扱えなくなってきており、得意だった焼肉も、好物の麺類も、どうにも箸がうまく扱えないようになり、店では食えず忸怩たる思いをしておりますが、その分、いらいらせぬよう、気も長くなってきて、人間万事塞翁が馬だと感じております。ペンを持って文字を書くことは、とうに諦めておりましたが、いよいよキーボードもミスタッチが増え、打ちづらくなってきて、SNSの投稿も控えております故、何卒ご理解ご容赦いただき、どっこいそれでも生きている近況をご報告いたしたく、しばしご寛恕願いたいと存じます。
国定難病の身体障害者二級になりながらも、意識だけは衰えなく、どうも意識と知識は、死ぬまでハッキリしているようで、自分が自分でなくなることはないとか。これで、命短いならば「余命一か月の花嫁」のように、取材もあれば映画にもなり印税もガッポガッポといくのでしょうけど、なんせ「余命そこそこのオッサン」ではお話にならないようで、取材もなければ印税もなく、頼りとなるのは医療費助成だけでして。
我が病の多系統萎縮症の患者数も国内で約17000人と第27位とかで、今まで15万人で1位だった同じく国定難病の潰瘍性大腸炎が、今年は2位に陥落して、パーキンソン病が約17万人で初めて1位になったとか。そんな派手な話題もなく、今年二十年ぶりだとかで、奇特な製薬会社が新薬の申請を厚生省に出してくれましたが、なんせこのコロナ禍。そっちの特効薬の方が、患者数も多くて儲かると、一気呵成に研究も申請もあっという間に通り、奇特な製薬会社より阿漕な製薬会社の方が話題にも取り上げられましたが、こちらはあいかわらずのなしのつぶてで待ちぼうけしております。そうこうしている間にも、私の病状が進みまして、杖を右手で突いていれば大丈夫、なんて言ってたのは、ついこないだで、あっというまに、歩行器なくては歩きもできぬという体になってしまいました。歩行器とは聞きなれぬ言葉ですが、よく年寄りが歩く支えにしている乳母車のようなものでして、これを買うにも、補装具費支給制度でお国からカネが出るというので喜び勇んで申請をしまして。ジジババの乳母車では、体格のいい私には横幅も狭く、あまり役に立たんのでは、と探したところ、国産の歩行器では埒が明かず、福祉大国のデンマークには体格のいい白人の体に合わせた横幅のある歩行器があるそうで、しかもデンマークらしい北欧デザインでカッコいいものがあり、さらに、その歩行器byAcreの日本の輸入総代理店が補装具費支給制度でも買える段取りをつけてくれるというじゃないですか。もう居ても立ってもいられずに、輸入総代理店と話を付け、主治医に診断書も書いてもらい、必要書類を区役所に耳を揃えて提出し、大人しくお上のお沙汰が下りるのを待っていましたら、都からお話があり、書類は完璧だが、いかんせん給与をもらいすぎてる、なんなら身動きのとれぬ生活保護者のために補装具支給制度は存在するのだ、ええい頭が高い、と後から言われまして、泣く泣く自腹で買う始末。とはいうものの、さすがは福祉大国デンマーク製だけあって、小回りも効き、悪路もゴムタイヤでお手の物。社内をうろうろするのも杖で歩き回るより随分と安定していて、これで勤務時間中に買いだしもできるようになるなど、高いけど良い買い物でありました。とはいうものの、デンマークは欧州らしく平地の多いお国柄、上り下りのことなど気にもならないようで、一方の我が家の最短駅は、目の前に傾斜七度の坂まで迫る、アップダウンのキツい日本らしい地形。当然、いかに素晴らしいデンマーク製の歩行器であっても、アップダウンには丸で弱い。まったく帯に短し襷に短し、とはよく言ったもの、歩行器ですら一長一短があるようで。それでも車イス暮らしになるよりはマシかと思い、ジジババの使う国産歩行器でもアップダウンに強いものを選んで、通勤用にと手に入れまして、晴れて歩行器の二台持ちとなりました。
外出しても、店にも一人では行けず、どこに行くにも一人では行けず、朝夕の通勤すらカミさんに連れてってもらっています。今まで職場の皆さんと過ごしてた分、カミさんと一緒に過ごす時間が増えたのは、苦労を掛けつつも、ありがたいとも思いつつ。長い間、職場の皆さんを連れ、店でうまいものを食ってた罪滅ぼしといえばそれまでですが、カミさんの飯を食べる機会も増え、ウーバーイーツや出前館で一緒に頼む機会も増えました。早い時期に部長にしていただいたのも有難かったのですが、今となっては如何せんロレツがついていかず、これまで長居させてもらった現場の末席に籍を置いていただきつつ、持つべきものは同期、とばかりに、動きの鈍くなった手で頼りがいのある同期を手伝う職場に異動させていただき、何とかカミさんに連れてってもらい、テレワーくしつつ通勤している次第であります。
死んでから慌てて死んじゃう準備をするのも間に合うわけもなく、ところが人類とは突然死んじゃうものでして、大体百歳でも九十歳でも、まだまだ若いと思うようで、準備なんてまだ先の話と思いがち。ところが有難いことに多系統萎縮症は発症から十年位は生きながらえそうで、カウントダウンされ、ゆっくり時間をかけて準備しろ、と言われているようなもの。普通は、こんなふうにはいきません。普通は、突然タイミングがくるんですから。その証拠に、うちの両親が準備しているなんて話は聞いたことがありません。まさか五十代でエンディングノートを考える羽目になるとは思いもしませんでしたが、地価高騰の折、都内では墓地どころか納骨堂にも困る時代がやってくるとか。そんな心配を生き残ったカミさんにさせるわけにもいかず、私の性分ですから準備も碌にせず野垂れ死ぬわけには毛頭行かないでしょう。そこで、ここへきて、人生最大の買い物を目指すことにしました。今更家を買うはずもなく、車を買っても仕方ありません。五十二の誕生日を迎えたばかりですが、納骨の準備をすることになるとは思っていなかったのですが、カミさんに託して、意図せぬところにうっちゃられるより、後顧の憂いがないように、今から上手に段取りたいものです。まさか、それが最後の高い買い物になるとは。これはお国が補助してくれるわけではないですからね。決まりましたら、またお話ししますので、聞きたいことがあれば何なりとご相談ください。相談料は格安にしておきます。
とまれ、長々と近況報告をさせていただきましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

コメント